学習ケアについて

東小金井自立学舎の市原です。

当塾のコンセプト――学習ケア。

日々、学習状況に寄り添い、ケアしていきます。

そもそも、「ケア」とは何でしょうか。

『ケアの本質』(ミルトン・メイヤロフ著)によると、人の成長を助けるすべての営みのことです。

私がケアにたどり着くまでの遍歴は、次のようなものです。早稲田大学第一文学部西洋哲学専修を卒業し、企業に就職しました。子供が生まれ、子育てや育児に夢中で取り組みました。

わたしの場合、企業社会では子育て育児の両立は、ほぼ不可能でした。なぜそうなのか、理由を考えた結果、およそ次のような結論に至りました。

営利追求を至上命題とする企業組織と、私のくらしは、それぞれに固有の希望があります。問題は、その希望が、自己欺瞞の方法以外に、同時に叶え、充足させることが不可能だということです。

ふたつの希望は、一個の人間の中に、純粋な形で存在することができない。私はそういうふうに結論しました。

企業を諦めて、ガイドヘルパーの仕事を数年やっています。ガイドヘルパー研修では障がい者総合支援法や、発達障害者総合支援法を学び、それらの法の理念に大いに共感もしました。

自閉症の方や発達障害の方を身近に支援してきた経験から私は、さらに学んだことがあります。彼らは、物語を生きていない。いまを生きているということです。

希望というのは、物語です。物語は、虚構であり、それはそれで人生になくてはならない面白さや、動機の源になるものです。

頑張って勉強して、成績向上を目指す、より良い上位校に入るのも、ある物語があってはじめて、取り組めます。ところがこれが違うのではないか、と思い始めました。それだと、行動の動機としてはやや脆弱でありますし、仮にそれを成就したとして、勉強は何だったのか。単なる物語の実現の手段だったということになりかねません。

勉強は手段ではなく、その都度、目的であるべきだ。目的的に、今その瞬間の知のインプットで、全身の数兆個の細胞を喜ばせること。これが大事だと。喜ばせるというか、違和感なく、場になじませる、という。前後の文脈なく、ただちに、学びにダイブする。知識の海のなかで無我夢中で勉強する。これはもはや、アスリートの領域と言えるかもしれません。

ケアと学習を組み合わせる理由がここに見つかるのです。夢中で訓練するアスリートに寄り添い、コーチすること、その成長を助けること。これが学習ケアの概念です。

当塾では、通塾以外にも、なるべく多くの時間、学習者の進捗をモニタリングし、介入していく考えです。

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東京都小金井市梶野町にある学習塾、東小金井自立学舎です。